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日付: 2018-08-22

冒険をしないとご褒美もらえない。アンコールワットの旅

カンボジアのアンコールワットに、一人で行ってみた。

今回は、ホテルも決めず自分をその地に置いたらどうなるか?少し冒険をしてみたくなった。

冒険をしないとご褒美もらえない

最初から全部決められた旅行をスケジュールの通りに行くのは楽しいかも知れない。でも人は少しでも冒険をした方が、帰った後の自分にたくさんのご褒美が貰えるに違いない。そう思って、今回はあえて何も決めず、その時の気分で決める旅にした。幸いひとり旅自分で全部決めれる。

カンボジアシェムリアップ空港

タクシー乗り場に並ぶ。先頭に係りの人がお客から聞いた英語を運転手に通訳してスムーズに行けるようにしている。私の番

「どこのホテルに行きたいですか?_」

「ホテル決めてないので、街の 中心に降ろして」

「ホテルじゃないと、どこに降ろすか?わからない」

私の拙い英語力は、それ以上説明ができないのと、案内人も面倒になって何も言わず私を車に乗せた。

運転手は無言のまま移動し、しばらくして、竹やぶの所で止まった。

竹やぶから、ニーッと笑顔の親しげな男がなんと竹やぶかき分け現れた。指で助手席を差しながら、「乗って良いか」と聞いたので、前の席ならまあ良いかと思ってオーケーサイン出した。運転手の兄との事だった。

「貴方は、ホテルを探してますか?」

「ノー、探してない。ホテルは街を歩きながら、自分で見て決める」

「とても良いホテルを知ってます。案内しますよ」

「そのホテルはいくら?」

「40ドルです」

「高い!10ドルのホテル探して」

などと話して、結局

「オーケー。私がそのホテルを見て、気に入ったら泊まる。そうじゃないなら、街で降ろしてくれ」

大抵こんな感じの人が出てくると、ボッタクリが多い。いいえそうに違いないと思ったけど、無下に断れないのでそう言って、ホテルに案内してもらった。

レストランも小さいけど小綺麗に片付けられてる。清潔そうな若いウエイトレスが笑顔でワイをしてくれた。

コンシアの若い男性も人が良さそうに案内してくれた。

 

(ホテルのレストランウエートレス。カメラ向けるとしゃがんで隠れたので、立ってと言った)

ここに決めた。

タクシーの運転手の兄は明日はアンコールワット案内するから、このタクシー使ってくれ

値段は一日60ドル。少し高い。それに着いたばかりで先に何も決めたくない。先の予定は何も決めない主義の旅行なので、あえて断った。

運転手たちが帰った後、コンシアに聞いた。

明日はアンコールワットに行きたい。歩くのが良いか、バスがいいか?自転車あるかなど聞いたら。トクトクの友達がいるので紹介しようか?

(トクトク:バイクの後ろに人が4人ほど乗れるようになってる乗り物。)

「じゃあ、頼む」そう言った5分後にトクトクの運転手が現れ、1日12ドルでアンコールワットを案内してくれると言う。安い!頼んだ。運転手の名前はコーさんと言った。

 

少し休んだ後時計を見たらまだ12時。外は暑いけど、風がある。ホテルの部屋からアンコール川が見える。少し歩いてみよう。

私は何もない景色をただ歩くのが好きだ。

外に出てみると、さっき話ししたトクトクのおじさんのコーさんが大きな声で呼び止めた。

「へい、どこに行く?これに乗れよ」

「いい、ノーサンキュー。この辺を歩きたいだけ。明日頼むね」

と、歩いていると、運転手が横にきて、一緒に歩くと言う。

こちらは一人で気ままに歩きたいので、断るけど、一緒についてくる。

「わかった、トクトクで街を案内して。5ドルでどうだ?」

「オーケー」

そんな訳で、急遽シェムリアップの街を案内してもらう事になった。

街一番の市場。市場の規模が大きいので見て回るのに2時間かかるという。

『終わったら、ここに来て、待ってる」

(トクトクにて)

タイでもベトナムでもあるような大きな市場。豚の顔が板の上に乗せてある。肉片を切って、板の上に乗せてある。魚も、野菜もいっぱいある。でも、旅行者がこれを買ってもどうにもならない。

ショール、かご、Tシャツ。これらを見て何も買う気がないので、すぐに戻った。2時間ここで過ごせない。20分で帰った。

コーはトクトクの後ろに寝ていた。私があまりにも早く帰ったのでびっくりしてた。その後街を案内してくれたが、よく覚えてない。

ホテルに帰って少し休んだ後、アプレラダンス見ながら食事をするレストランがこのホテルの隣にあるとネットで書いてある。

夕方、歩いてそのレストランに出かけると、またコーさんが大声で呼ぶ。コーはこのホテルの前にずっといる。

「へい、どこに行く?」私は、アプレラダンスの真似をして、これを見に行くと言った。彼はトクトクに乗れと言う。

「アプレラダンスは歩いて行く、近いから、隣にある」

「そこはチープで楽しくない。もっと良いところがある。乗れ、タダでいい。」

「わかった」トクトクに乗ってそのチープでないレストランに着いた。彼が言うようにすごく豪華なレストラン。客層は欧米人が70パーセント。後は日本。彼は私を案内すると、ここで待ってると言った。

「一緒に見ないか?」彼を誘ったら、びっくりして、「貴方は親切な人です。」とわいされた。

(わい:タイでもよくある、両手を合わせて、拝むような仕草)

喜んでくれたらいい、一人12ドル合計24ドル払って、彼と一緒に食べる事になった。

食べた後、アプレラダンスが始まった。これはタイでも同じようなダンスがあるけど、元は同じらしい。この地区は戦争が多く、攻めたり攻められたりしてるうちにダンスが広まった。

平和に暮らしていた人々は誰も悪い事せず、仏教をほとんどの人が信じ、悪い事sたらバチが当たる。そんな教えを守っていた。

そこには武器も用意してなく、外から攻めれたら全員が殺される。神はバチを与えないのか?

(アプレラダンス)

そんな中カンボジアはポルポト政権が牛耳る事になる。外敵をやっつけてやる。俺たちに任せろ。

そのポルポトは、知識人やアプレラダンスの女性をほとんど殺してしまう。

何人か残ったダンサーは音楽も何も自分たちの頭の中にあるだけを全部絞り出し、3歳になる女の子からおしえていって、その20年後に観光資源として、復活した。

アプレラダンスの若い女性は20歳そこそこで、ここに出れるようになるために毎日厳しいレッスンをして、勝ち残った人がこのレストランに出れると言う。

アプレラダンスは元は宮廷のダンスで。ショーは村祭りのダンスも交え、笑いもあって楽しめた。

 

アンコールワット

140年前に、ヨーロッパから来た冒険家が大発見した。

日本でいう、奈良時代。こんな進んだ文明がこの地にあったという奇跡的な発見だった。

このアジアの片隅にエジプトと並ぶ大きな文明があったと当時は大きく報道されたと思う。

日本やフランスやイギリスなどが、道を作ったり、遺跡がバラバラになってるのを、ジグソパズルのごとく、試行錯誤で組み上げたりして、どうにか見れるようになったところです。

難しいのは、転がってる石物を組み立てる際も、ただセメントでくっつけるとすぐに剥がれるらしい。その石に合ったもので接着する技術から開発しないといけない。

トクトクのコーさんの案内でアンコールワットに着いた。

荘厳な外見は写真などでよく見るあのアンコールワットです。直に見ると本当に感動する。

入り口には沢山の若すぎる若者がたくさんいて何かしら物を売ってる。その一人のノン少年が私に声かけた。

「コーラ、買ってー」

(コーラ売り、絵葉書、ショールなども、学校に行かず元気に打ってる少年達)

喉が渇いてたけど、まずはアンコールワットに行きたい。

「後で、帰りに買うよ」

アンコールワットは第一回廊から第四回廊まであり、最初に第一回廊がある。東西南北の一面が800mの壁面に彫刻が施され、どれぞれにテーマがあって、丁寧に石を掘って描かれている。

 

                                                      (第1回廊の壁画)東西南北各800mに壁画がある)

これを3日もかけてじっくり見る人もいるという。途中に仏像があり、大抵の仏像は頭を飛ばされている。これもポルポトの仕業らしい。

それでも、その仏像の下で花を捧げてお祈りしてる老人がいる。中ほどに行くと、占いしてるおばあさんもいる。

アンコールワットを見た後、アンコールトムに向かった。

(アンコールトム バイヨン寺院)

アンコールトム 

ワットはお寺で、トムは街という意味らしい。

当時の王様は、民衆を納めるために、宗教の力を借りる。ある王様はアンコールワットを作り、次の王はアンコールトムを作る。権力の象徴が必要だったのですね。

その後、サンレップ湖に行く。

琵琶湖の3倍ほどの大きな人工湖のなかに、水中に浮かぶ家が何百戸と浮かんで生活している。

その中に警察、学校、工場、店、豚の牧場、ワニの生簀などがあり、この湖だけで全て生活ができる。

(交通機関はタライ?)

ここはトクトクを降り、ボートで色々回った。学校も観光コースになっていて、観光客は途中の店で鉛筆やノートを買って行き、私は学校に事業参観よろしく見学して子供たつにノートを10冊贈った。

 

(サンレップ湖の湖畔にて)

一日のコースはここで終わり、ホテルに戻った。

何より、アンコールワットの素晴らしさを発見した旅でした。

 さて、次はどこに行こうか?

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